花咲く庭に拍手の音と共に大勢の声が揃う。 「優香お嬢様、お誕生日おめでとうございます!」 今年で17回を数える私の誕生日パーティ。 昨夜、天気予報が雨だと言っていたテレビに向かい、昼間に料理やテーブルの準備を済ましていたメイドたちは不安の声を漏らしていた。 そんな予報に反し雨は降らなかった。 少し雲行きが怪しいが今年もこの庭園で開催された。 年に1度、同じ日。同じ場所で開かれるこの集い。 誕生日パーティでの名目で行われる大人の自慢大会にはうんざりしていた。 「お嬢様、お誕生日おめでとうございます」 「どうもありがとうございます、叔父様もお元気そうで何よりです」 「優香様は本当にお綺麗になられて・・・」 「滅相もない。そう言えば奥様、息子さんは如何なされて?」 「そちらのお召し物はとても似合っておられますね」 「これはお父様が誕生祝として贈って下さったものですの」 そんな言葉を交わしながら、庭の隅の離れた建っているテラスへと一歩一歩近づく。 だんだんと人の声が遠のく。 庭園に一つだけある、私のお気に入りの白いテラス。 毎年、パーティ半ばにはここへ逃げていく。 これだけ人が居るんだから私が居なくなったって気付く人は居ない。 そう自分に言い聞かせ、招待客に背を向けて歩き出す。 庭の手入れの行き届いた木木の奥に白いテラスの頭が覘く。 もう、お喋りの声は聞こえてこない。 安心し、テラスへ続く飛石の上に足を乗せた瞬間、聞き覚えのある声が届く。 「優香お嬢様! 駄目じゃないですか! パーティを抜け出したりしては!」 「・・・真由、お願いだから見逃してよ」 黒いワンピースにフリルの付いた白いエプロンドレスの女性が少し息を弾ませながら近づく。 私が居なくなった事を真由が気付くのは容易に予想出来ていた。 毎年使う手だったが、こんなに早く気付かれるとは思っていなかった。 「さぁ、お客様もお嬢様をお待ちですよ。皆様の所へ戻りましょう」 私の手を取り、真由はぎゅっと握る。 その手には今年こそは私をパーティの場に居させると言う強い想いが感じられた。 「真由も知ってるでしょう? 私があそこに居たくない理由」 そっと真由に握られた手に目を落とす。 「おべっかを使うのが嫌なのは重々承知しておりますが本日の主役はお嬢様なんですよ?」 それは私も分かっている。 そして、本日17歳になったのも分かっている。 今日こそはと思って居たのだが、あの場に立つとどうしても駄目だった。 二人の間を風が木木と庭に咲いた花の匂いを乗せて運んでくる。 その風は同時に空から一粒の雨も運んできた。 ざあっという音と同時に視界が暗くなる。 パーティ会場の辺りからざわめきが雨の音に混じって微かに聞こえた。 青く茂った木木が降り注ぐ雨により葉を伝い、重く下がる。 「お嬢様! そんな所で居ますと濡れてしまいますよ! さ、こっちへ!」 握られた手に引かれ、真由の後姿を見ながら濡れて光る飛石を踏む。 テラスへ着いた時にはもう全身から降り注ぐ雨を浴びていた。 今日の朝、下ろしたドレスはまるで別の服のようだった。 靴の中までびっしょりと濡れていた。 真由のいつもの白いエプロンドレスは濡れて、下に着ているワンピースが透けていた。 私がテラスに設置してある椅子に腰をおろす。 「真由、立ってないで座ったら?」 私の隣の椅子に真由が座る。 雨が降り止む様子は無かった。むしろ、強くなっていた。 「他のメイドたちはお客様の対応に追われているでしょうから、お嬢様が居ないことも気付かないかもしれませんね」 そう言うと真由は束ねていた髪を解いた。 ふわっと女性特有の甘い香りがテラスに広がる。 髪の癖をとりながら真由はこうも続けた。 「お嬢様のお誕生日ですのに雨なんて、ちょっと残念ですね」 私は残念なんて全く思っていなかった。 雨が降ってくれて内心、とても喜んでいた。 大切な、大切な真由と一緒の時間を過ごせる事に。 毎年、誕生日にテラスまで私を迎えに来てくれるのは真由だった。 お父様もお母様もお客様のお相手の大忙し。 きっと二人は毎年私がパーティを抜け出し、テラスに居た事すら知らないだろう。 お客様が帰り始め、白いテラスが夕日を浴びる。 そんな頃、真由が私に手を差し延べる。 その手が毎年贈られるどの誕生日プレゼントよりも勝っていた。 降り注ぐ雨が永遠に止まなければいいと思った。 「私は、真由だけに誕生日を祝って欲しかったのよ」 雨の降る中、テラスに私の声が静かに響く。 真由がきょとんとした顔でこちらを向いた。 「私・・・だけですか?」 その質問をする真由は困惑の表情をみせる。 真由の頭の中にはなぜ大勢のメイドの中で自分なのか、お客様やお父様たちではなく、自分なのか――そう思っているのだろう。 雨は先程よりもさらに強くなっている。 太陽のは雲に隠れて見えなかった。 まるで、庭に隠されたテラスに居る私たち二人のように。 「ありがとうございます。私もお嬢様の誕生日をお祝いする事が出来て幸せです」 その言葉を言い放つのはいつもの真由だった。 先刻の可愛らしい困った顔は消えていた。 「私は真由が好きだから言ってるのよ? ちゃんと分かってるの?」 私はその顔をもう一度見たかった。 常に笑っているその顔に、困窮を再び希求する。 「私もお嬢様の事が好きですよ」 真由は平然たる態度で答えた。 私が求めていた事は起きなかった。 これはただの主とメイドの会話。 きっと、真由に好きの真意は伝わっていない。 降り続く雨はまるで私の想いを表しているかのようだった。 止まない想い、どこまでも続く気持ち。 「そういえば、私がお嬢様のお誕生日をお祝いするのは今年で6回目ですね」 雨と木木に隠れて見えない屋敷の方へ向いて思い出したかのように真由が呟く。「真由がうちに来たのは私が11で真由が15の時だったわね」 糊のきいたまっさらな黒いワンピース、染み一つ無いエプロンドレス。 まだ少しあどけなさが残る真由が来た日を今でも鮮明に覚えている。 来たばかりの真由はよくドジを踏み、メイド長によく怒られていたのを知っている。 6年経った今は私の我が儘もさらりとかわす。 日を追って逞しくなっていく真由。 あの頃はまだ少ししかなかった背の差。 目線の高さにあった顔は、今となっては目を上げなければいけないほどだ。 「お嬢様・・・濡れてしまい申し訳無いのですが良かったら・・・」 そう言って差し出されたのはピンクのリボンのついた四角い紙包みだった。 「気に入っていただけると良いのですが・・・」 その少し濡れてしまった包み紙を開けると、小さな腕時計が現われた。 薄いピンクのブレスレットのように細いベルトに小さな文字盤。 文字盤はシンプルでシルバーの数字が彫ってあった。 その箱の中から大切にゆっくり取り出す。 「これ、私に?」 「このような物しか用意できなくて申し訳ないのですが・・・お気に召さなかったでしょうか?」 雨の音の中、時計のカチカチと時を刻む音が微かに聞こえる。 今までのどんなプレゼントよりも嬉しい。 沢山の宝石よりも、沢山のドレスよりも、真由がくれた物ならそれに勝る物は無い。 「ううん、凄く嬉しい! 有難う、真由。大切にするね」 そういいながら腕時計を左腕にはめた。 ドレスと腕時計は少し不似合いな気もしたが、そんな事よりも嬉しさの方が何倍も勝っていた。 「この時計が時を刻むのを止めるまで、お嬢様のお側に居させてくださいね」 その時、曇っていた空がさあっと晴れ、雨も止んだ。 「さぁ、雨も上がりましたし、お屋敷に戻りましょう。早くしないと風邪をひいてしまわれますよ」 今年も真由の手が差し出された。 その手を取りテラスから少し太陽が顔を現した空の下へと出る。 まだ雨の匂いが少し残る。 木木は慈雨の喜びに満ちているようだった。 濡れた飛石に二人の足音が残る。 手を繋いだ真由の袖口の隙間から私とお揃いの腕時計がちらと見えた。 思わず叫びそうになってしまった。 その嬉しさに声を呑んで真由の手をぎゅっと握る。 振り返り、微笑む真由の顔はお揃いの腕時計と同じ薄いピンクに染まっていた。 |